DNAを刻む会社「豊受」1/2 〜工場長 粟屋氏に聞く〜

こんにちは。etomojiの清川です。DNAを刻む会社、第1弾の記事は、株式会社 豊受 さまご協力のもとお送りします。
パッケージ・ディスプレイ・POP販促製品からポスター・カタログなど一般印刷物まであらゆる印刷紙製品を網羅している同社のDNAが、どこにあるのかを知るべく、上野原工場へ訪問させていただきました。今回は、実際に取り交わされた会話を元に、時系列でその記録を綴ろうと思います。なお、今回は山梨在住のetomojiメンバー青木さんと一緒に参加しております。どうぞ最後までお付き合いください。

工場へ向かう道中から始まる、印刷や加工のお話

小雨が降る中、上野原駅にてお迎えくださった粟屋常務。自動車で工場へ向かう途中の会話でも、印刷加工に対する愛情が伝わってくる。

初めましてのご挨拶を終え、工場へ向かう道中から、粟屋常務の印刷加工にまつわる物語は始まりました。「平成に入ってから、工場の中に空調設備ができたんですよ。それまでは職人たちが管理しないといけなかったから大変だったんです」と、粟屋常務は笑います。今でこそ工場の環境を均一に保てるのが当たり前だけれど、昔はそうでなかったことを知りました。特に、夏冬の寒暖差が大きい時には大変だったそう。

昔のインキには、夏型・冬型があったし、空調のない現場では品質管理がとても大変だった。

インキひとつとっても今昔で違うようです。夏型と冬型とがあり、夏型インキは少し硬く、冬型インキは少し柔らかかったそうです。それよりも大変だったのが紙。紙は季節で作れないから調整が難しいとのこと。紙の表面が冷たいとインキのアミ点再現性が悪くなり、また用紙が剥離しやすくなるそう。インキの着肉が悪くなり、不良の原因になります。昔の時代はこういった素材の管理なんかを”知る人ぞ知る”職人たちが支えてきたということが伝わってきます。この道中のお話だけでも、素材に対しての知見が深く、ザ・職人さんだなぁという雰囲気が伝わってきて、本番のインタビューもとても楽しみになりました。

豊受 上野原の工場へ到着!

工場へ到着。あいにくの雨の日にも映える黄色い建物です。

インタビュー形式で綴る、豊受の生産を支える粟屋常務が語る、ものづくりの現場。

粟屋常務が豊受で働いている今を振り返って

Q.何年ぐらいこのお仕事をされていますか?

40年以上。今年74歳になります。途中、ちがう仕事をほんのちょっとだけやってきてるんだけれども、22歳から働いています。

Q.どのような経緯で豊受に入社されたのですか?

豊受に来る前に、大手印刷会社で働いていました。といっても、印刷そのものをやっていた訳ではなく、設計や試作をやっていたんです。当時は縦割り組織がすごくて、これはずっとやっていけないなということで、何年かして転職しました。豊受に来る前には友だちが勤めていた印刷会社にて少し働きました。印刷の基礎をそこで覚えてから、豊受に入社しました。

Q.仕事にはどのように向き合ってこられましたか?

印刷の理屈自体は、豊受の前に覚えていたのですが、実際は機械を回して100%できていたかというとそうではありませんでした。昔の時代は、1人前になるには5年かかると言われていましたから。でも私は、やる気があれば1年でもできるようになるのではないかと考えて、要領を学ぶことを徹底しました。
例えば、水の性質と温度、インキの性質、紙の性質などというのは経験が必要です。なんとなくでやっていると要領を得るまでには時間がかかります。理屈と組成を最初に分かってから経験を積めば、もっと早く一人前になれるのではないかと思っていました。昔の人は教えるという文化が少なかったですが、それが重要だと思い、働いていました。また、自分自身に「1年で1人前になること」を宣言することで、追い込みました。